「なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか」VS「パチンコがなくなる日」
去年12月に「なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか」そして今年2月に「パチンコがなくなる日」という新書が発売された。
パチンコ批判として同じベクトルの新書と思いきやスタンスは真逆である。
「なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか」はパチンコ憎し、即刻、廃止すべきというスタンスであり「パチンコがなくなる日」は今のままでは廃止になってしまう。パチンコを愛するが故にすべてをクリアにすべきというスタンスである。
正直、韓国人の倫理観が特別、高いから全廃できたとは思えない。
韓国社会の表層の部分でしか営業していなかったから。
日本の場合は政・財・官のあらゆる部分に毛細血管のようにパチンコマネーが浸透している。
その血管をぶった切ろうとすればあらゆる部分から圧力が掛かる。
「なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか」は12月に発売されてからアマゾンでは一ヶ月ほど入手困難な状態だったので、もしやパチンコ業界から圧力が掛かったのかなと心配したほどだ。
パチンコをやっている人にとっては「パチンコがなくなる日」は大変、勉強になる本かもしれない。
釘調整が違法なこととは初めて知ったし、最近、何故回らなくなったのかにも言及しているし遊パチは警察庁のゴリ押しで始められたのも初めて知った。
ただ「パチンコがなくなる日」が残念なのは問題提起だけで、ならばどうすればよいという提案が無かったことか…。
私にとってパチンコ産業がどうなろうと知ったこっちゃない感じだ。
だだ今の状態が異常なことは承知している。
天下のトヨタの売り上げよりも一つのパチンコチェーン店のマルハンの売り上げの方が遥かに高いのは尋常ではない。
パチンコは明らかに賭博であり法律違反である。
そのことについてパチンコ業界は目をつむり果てしなく膨張しようとしている。
警察が一枚上手なのは、世間から廃止論がでないように業界へ常に圧力と規制をかけてパチンコマネーを堅持しようとしている。つまり警察にとって生かさず殺さずで十分なのである。
昔はヤクザが胴元だっただけにパチンコは堅気の商売ではない。
それゆえ身分をわきまえた商売をするべきだ。
テレビや新聞のCMなど言語道断だし、町のど真ん中に眩しい看板で堂々と営業しているのも問題だ。
町の片隅でひっそりと営業しているのが本当で入るところを見られたら恥ずかしいくらいの気持ちを持たないといけない。
兎に角、このまま臭いものに蓋をする状態で膨張し続けるといつか破裂するのは確実だ。
その時、「パチンコがなくなる日」がやってくるのではないかと思う。
PS: 我が町、阿久根ではウォールアートにピカチュウは相応しくないとして消されたが私に言わせれば市役所の真横にパチンコ店が存在していることのほうがよっぽど「相応しくない」と思うのは私だけだろうか。