西平新市長が信用できない理由。そしてブログについて。

西平新市長が運動を起こしたきっかけは竹原前市長のブログでの障害者を差別するような書き込みがゆるせなかったからだそうだが、なるほどそういう純粋な気持ちで市長になったからには自治労や市議達とは一線をきした運動だったんだろう。
いや今となってはそう思いたい。
しかしその淡い思いは、早速裏切られた。

西平新市長が初登庁したとき大勢の市職員たちと市議が拍手で迎え入れた。
「やられた。」と思った。
そして3日後、阿久根副市長という天下りポストを手土産に県庁詣でをしたとき。
「また、やられた。」と思った。
「若いのに気が利くのう。うい奴じゃ」と伊藤知事は頭をなでたかったに違いない。

私が「阿久根の将来を考える会」発足から一貫して懐疑的だった最大の理由が公式ホームページやブログが存在しないことである。
現時点でも存在しないはずだ。

私がもし市長を目指すなら、真っ先に公式ホームページを作りブログを始める。
自分の考えをみんなに示したいなら確かにチラシを配ったり懇談会を開くのも有効な手段だが、あくまで限定的だ。
ブログをやろうと思えば無料で30分も掛からない。
しかも阿久根に限らず全世界に発信できる。
コストパフォーマンスは絶大だ。
なにがしかの主義、主張や理念がある政治家は必ずやっている。
ましてやこれだけ有名になった町の市長である。
全国の人がどういう考えの人なのか是非とも知りたいはずである。
80代90代のお爺さんならしょうがないが37歳でパソコンに疎いとは言わせない。

反竹原派といわれる人々の共通点はネットの力を使わないことだ。
反竹原派の市議達でホームページなりブログを開設している人がいるだろうか。
牛ノ濱市議の「ゆみちゃんブログ」は反竹原派に寝返った途端に更新が途絶えがちで今では開店休業状態。
自分達が不利になったときだけ言い訳、更新している。

この様に市民の”知りたい”思いから背を向けるのが反竹原派の共通点なのである。

ひるがえって竹原前市長。いやもう”ただの人”になったので竹原さんでいいだろう。
竹原さんは逐一、自分の思いをブログ”住民至上主義”で発信している。
オブラートに包んだ様な物言いをしないのは読んで頂けると分かると思うが言わば丸腰で戦っているようなもので反竹原派の格好のつっこみ材料ともなっている。

ブログをやっている人は感じると思うが以前に投稿した文章を読み直してみて赤面することがよくある。
何でこんな事、書いたのかな?もっと違う表現があったのになぁ~。とか…。
人間とは喜怒哀楽、感情の波の中で生きているもの。
不幸のどん底の中、幸せそうな人を見れば、たむらけんじじゃないが「事故して骨折でもしろ!」と普段なら思いもしなかったことを考えたりするもの。
去年末の大桃美代子さんがTwitterで元旦那が麻木久仁子さんと不倫してたことを暴露した事件も感情の波の頂点に達したとき思わず書いてしまったもの。
同情します。

差別的発言も公式的な場所で発言しているなら問題だ。
それは冷静な頭で前もって何を言っていいのか悪いのか判断しているから。
ブログも書いた後に何度も読み直し推敲し著名な物書きならやっている”寝かす”作業をすれば後で読み直して後悔しない文章になるだろうが、そうなってしまうとブログの持っている今なにを考えているのかタイムリーな新鮮みが無くなってしまう。

ブログの一部分を切り取ってその人を批判するのはフェアじゃない。
タイムリーな感情を優先させ冷静で正確的な感情を犠牲にしているから。
ですからこのブログも相対的におおらかな気持ちで読んで頂けると有り難いです。

PS:このブログも一年後には後悔文章になっているかもしれません。ヾ(≧血≦;)ノ